アメリカ政府の発表ではまだ未確認だったマンスール師の死亡
21日にアメリカ政府は、アフガニスタンとパキスタンの国境付近でアフガニスタンの反政府勢力タリバンの最高指導者であるムラー・アクタール・ムハンマド・マンスール師をドローンによる空爆によって攻撃したとの発表を行いました。
今のところマンスール師の殺害は確定しておらず、無人航空機ドローンの攻撃でマンスール師が死亡したかどうかは現在確認中とアメリカ国防省のピーター・クック報道官は説明していました。
アフガニスタン情報局員が死亡を確認
しかし、BBCの情報ではアフガニスタンの情報局員がマンスール師の殺害を確認したということです。
21日の朝6時、パキスタン南西部のアフマドウォルマートで2人の男性兵士とともにマンスール師が車両で移動中にドローンが攻撃し、おそらくマンスール師は死亡しているのではないかと考えられています。
また、アメリカの特殊作戦部隊が操作する無人機ドローンが数機で攻撃を実行したとのことです。特殊作戦部隊のドローンについてはCIAの高度機密情報に当たるため、詳しい内容は発表されていません。
クック報道官は、「マンスール師はカブールやアフガニスタン全土にわたる攻撃計画の主要人物であり、アフガニスタン政府とタリバンの和平交渉を許さない最高指導者が平和と再建への障壁となっていたが、これで紛争の解決へとつながる可能性が見えてきた」とコメントしています。
タリバン発足時からの中心人物
マンスール師についてはあまり多くの情報がありませんが、まだアフガニスタンがタリバン政権であった頃、1990年代にマンスール師は政府の航空分野と観光分野のトップに立っていました。
しかし、2001年9月11日に発生したアメリカ同時多発テロ事件の首謀者であるオサマ・ビン・ラディン容疑者の引き渡しを拒否したためにアメリカからの攻撃を受けてこの年の12月にタリバン政権は崩壊。ムラー・ムハンマド・オマル師やマンスール師を含めた指導者たちはパキスタンへと逃れ、新しく樹立したアフガニスタン政府に抵抗する武装集団へと変貌を遂げたのでした。
オマル師死亡によりタリバンの実質的トップに
そのタリバンの生みの親であるオマル師は、2011年にやはりアメリカ軍の空爆によって死亡したとの報道が世界を駆け巡ります。ところが、タリバンはこの時オマル師の死亡を否定し、真偽のほどがわからないままでした。
それから4年の月日が経った2015年、突如オマル師は2013年の4月にパキスタンで死亡したとアフガニスタン政府から発表が行われます。このオマル師の一件があったことから、アメリカ政府は今回のマンスール師殺害について明確な断言を避けていました。
その直後にマンスール師はオマル師の後継者となり正式に活動を展開してきたのですが、オマル師が死亡した後すでにマンスール師はその死を秘匿しながらタリバンの実質的な最高指導者として組織を統括していたようです。
慎重に潜伏していたオマル師と対照的に、マンスール師はほかのタリバン指導者たちとともに、パキスタンのクエッタでイシャクザイの人たちが作った家に住んでいたことがわかっています。また、アフガニスタン政府の話では国連の搭乗者拒否リストに名前があるのにもかかわらず、パキスタン国外から出てドバイに渡っていたこともあるようです。
オマル師死後、派閥間の内紛もささやかれるがいまだに活発な活動を続けるタリバン
2015年12月にはタリバン内の派閥争いが起こり、その際の銃撃戦で負傷したとの報道も流れていました。
アフガニスタン国内はいまだ不安定な状態にあり、19日にはザーブル州で警官8人が同僚によって射殺。20日には首都カブールで国連の警備をしているアフガニスタン人がネパール人警備員を殺害、さらに21日にもウルズガン州で警官6人が同僚たちによって射殺される事件が起きています。
一見表に出てはいないけれど、こうした事件の背後にはタリバンの姿があるとされ、2001年の政権崩壊から15年の月日が経っているもののまだその影響力が色濃く影を落としています。
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