ハブレ元チャド大統領にセネガルの特別法廷で終身刑の判決が下される

2015年7月の法廷で強制退出させられるハブレ元大統領
                             https://youtu.be/57C-NDNUMCw より

かつての国家元首が別の国でさばかれた初めてのケース



2015年7月20日にセネガルで始まったイッセン・ハブレ元チャド大統領に対する裁判が結審を迎え、グスターブ・カム裁判官は在任中ハブレ元大統領が強姦、重労働強制、誘拐、4万人の虐殺を行ったとして人道に反する罪を認め有罪とし、終身刑の判決を下しました。





セネガルの国でチャドの元大統領をさばく裁判が行われたわけですが、原告はハブレ元大統領が在任時代に15年近く投獄された人たちです。



今回の裁判を運営したのは特別アフリカ裁判部(Extraordinary African Chambers:EAC)でセネガルとアフリカ連合(AU)の間で「セネガル裁判所内の特別アフリカ裁判部の設立に関するセネガル共和国政府とアフリカ連合の間の合意」を結んで実現したものです。





「アフリカのピノチェト」とも呼ばれる独裁政権を敷き虐殺などを行ったハブレ元大統領をセネガル国内でさばくために設置された裁判ですが、アフリカ連合の人が行う裁判長などを除いて検察官や裁判官はセネガル人です。別の国の指導者を人道に反する罪を問う裁判はこれが初めてのケースとなります。








「アフリカのピノチェト」の紆余曲折した裁判



4万人以上を虐殺した独裁政権時代



1年前の開廷から法廷に立った証人の数は90人以上。1982年から1990年までの統治期間に反政府勢力の多くの人が殺害されたり強姦されたり監獄で拷問されたりしており、1992年にチャド政府が発表した数では4万人以上の人が亡くなったとされています。



セネガルとベルギーで綱引き



1990年に現在チャドの大統領であるデビ氏たちの反政府勢力に追われてセネガルに亡命。



しかし、2000年に拷問や超法規的殺害、強制失踪といった人権侵害を行ったとしてセネガルとベルギーで訴追が提起されます。セネガルではチャドの国民が告訴したのですが、裁判所にチャドの元大統領をさばく管轄権がないとして退けられてしまいます。



一方のベルギーはチャド出身でベルギー国籍の人がハブレ元大統領を告訴し、2005年にベルギーはセネガルに対して身柄の引き渡しを要求します。



しかし当時のセネガルのワッド大統領は裁判に対して消極的な姿勢を続け、裁判資金が足りないなどの理由から手続きが始まった2006年以降も開廷が実現しないまま時が流れていきます。



セネガルのワッド政権が終焉し、ハブレ裁判が実現




事態が進展したのは首相だったサル氏がワッド大統領の3選を阻止して、大統領に就任した2012年でした。



翌2013年6月30日に首都ダカールでハブレ元大統領の身柄を拘束。AUとの合意で準備がされていた特別法廷がようやく開かれることになります。



そして、2015年7月20日に開廷し、今月30日に終身刑が確定しました。






<追記>

ハブレ被告は7月29日に、強姦や拷問、殺人を行った被害者や遺族に対してそれぞれ3万4000ドルを支払うよう特別アフリカ裁判部に命じられました。賠償金の総額は数百万ドルにもおよぶと見られています。








参照

http://blog.livedoor.jp/megumiochi-internationalcriminaljustice/archives/43999966.html
www.hurights.or.jp/archives/newsinbrief-ja/section3/2012/07/post-76.html
www.international-press-syndicate-japan.net
http://www.dailymail.co.uk/wires/ap/article-3616270/Chads-ex-ruler-guilty-sentenced-life-abuses.html
https://www.theguardian.com/global-development/2016/jul/29/hissene-habre-compensation-90m-crimes-against-humanity-chad









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