女性の権利を訴える行進が世界各地で。歴史的な規模の反トランプデモ

   アメリカ・ポートランドでの行進          
Photo by https://youtu.be/XdOUaGiJnsY

ワシントンを中心に全米で500万人が参加



1月20日にドナルド・トランプ氏がアメリカの第45代大統領に就任したその翌日、全米各地で選挙キャンペーン中に女性蔑視の発言が問題となった同氏に対し、女性の権利や立場を守る強い抗議が行われました。






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大統領就任式が行われたワシントンでは予定よりも2倍以上の数となる50万人が参加したほか、ニューヨーク、ボストン、シカゴでそれぞれ数万~数十万人の規模となり、特にロサンゼルスでは75万人を超えたと運営者が発表しています。


アメリカ全体で500万人近い人がトランプ大統領の就任への抗議活動に参加し、その多くを女性が占めていました。


関連記事:アメリカ大統領となるトランプ氏に海外の首脳はどう反応したのか?





Women's March on Washington

メディアも新政権への批判を控える、ハネムーン期間と呼ばれる100日を待たず、翌日にホワイトハウスの前を大規模なデモ隊が通過しました。





Women march on Washington | jp.reuters.com

Women's March on Washingtonの写真ギャラリー




デモ行進の前に連邦議会議事堂で集会が開かれ、かねてからトランプ氏を批判してきた歌手のマドンナさんを始め、俳優のエマ・ワトソンさんやスカーレット・ヨハンソンさん、映画監督のマイケル・ムーアさんなどの著名人が参加しています。






「私たちを誹謗中傷する人間は、この行進なんてしたところで何にもならないと言ってるけど、そんなものファ○○ユー!」


過激な言葉を使いながらも、マドンナさんはピンクのニット帽を被った50万人聴衆を前にスピーチを行い、「ようこそ、愛の革命へ」とトランプ政権と戦う姿勢を明らかにしました。






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世界数十か国で女性たちの行進


主催者によると、世界80ヵ国670ヵ所でWomen's Marchが行われ、480万人が参加したということです。



時差の関係で21日土曜、もっとも早くに始まったのはオーストラリアとニュージーランドでした。シドニーで3000人、メルボルンで5000人が集まり、ニュージーランドでは全体で2000人が行進しています。




イギリスではロンドンの8~10万人の他、マンチェスター、カーディフ、リバプール、エディンバラ、ベルファストなど15の都市でデモ行進があり、ロンドンの行進には市長のサディク・カーン氏も参加しています。


「女性も男性もともにロンドンでこうして行進し、すべての女性が持ってしかるべき権利に重きを置いていることを示していることを誇りに思う」(カーン市長)








ヨーロッパの他の国でも、ベルリンやパリ、ウィーン、ジェノバ、アムステルダムなどで、アフリカではケープタウンやナイロビでデモ活動があり、東京でも日本在住のアメリカ人を中心に400人が女性の権利を訴え行進しています。





世界の歴史と女性の行進

アメリカだけでも500万人が参加した今回のデモ活動。もちろん男性も参加はしていますが、やはり中心となっていたのは女性でした。


Women's March on WashingtonというサイトやSNSを通じて世界中の人たちに呼びかけられ、賛意を示す人たちが行動を起こしてこれほどの規模になりました。


世界の歴史の中でも、こうした女性たちが中心となって行進をし、時代の流れを動かした出来事を紹介したいと思います。




フランス革命のベルサイユ行進

フランス革命でバスティーユ監獄の襲撃に続き、王政に対して市民が行った示威行動がベルサイユ行進です。




ベルサイユ行進
ベルサイユ行進


この当時のルイ16世を始め、ブルボン王朝の国王はベルサイユ宮殿に住んでいて、議会もベルサイユにありました。市民が中心となって民主政治を行おうとしているのに、彼らがいるパリとベルサイユは徒歩で5時間もかかる距離にありました。


階級社会の廃止やフランス人権宣言の承認をルイ16世が強気に否定的な姿勢を示せたのにも、そうした市民と距離があったというのも理由の1つだったかもしれません。


そんな中、食糧の価格が高騰し苦しい状況にある国民を無碍にするような王宮の振る舞いがパリ市民に伝わります。1789年10月5日に革命の指導者マラーの言葉を受けてベルサイユ宮殿に向けて行進を始めたのはパリの主婦たち数千人でした。


ベルサイユ宮殿に着いた主婦たちの代表はルイ16世に自分たちの窮状を訴え、小競り合いの結果王と王妃のマリー・アントワネットとその子供をパリに連れて行き、議会もパリで開かれるようになったのでした。





アパルトヘイトとウーマンズ・マーチ1956


2016年8月9日、この日のGoogle検索のロゴは南アフリカだけ特別なものになっていました。それは女性の行進60周年を記念するもの。



女性のデモ行進 60周年



現在、南アフリカでは8月9日は「女性の日」として祝日となっています。


第二次世界大戦後の南アフリカで、入植してきた白人中心の政府で進められてきたのが人種隔離政策「アパルトヘイト」でした。有色人種を差別するこの政策は1948年の法性化され、1991年6月まで国の方針となっていました。


1952年にアパルトヘイトの象徴とも言える「パス法」がさらに制定されます。これは南アフリカに住む18歳以上の黒人は身分証を携帯しなければならないという法案でした。


パス法の撤廃を訴えるためにプレトリアに南アフリカ各地から民族衣装に身を包んだ女性を中心に集まり、抗議したのが1956年8月9日だったのです。


集まった人は1万人から2万人に上り、時のヨハネス・ストレイダム首相にパス法の取り下げを要求したのでした。


ストレイダム首相は代表者とは面会せず、要求は却下されてしまいますが、アパルトヘイトへの反対運動の大きな出来事となりました。







アメリカにおける女性の行進


女性の参政権


ワシントンでの女性たちの抗議活動はこれまでに何度も行われています。もっとも最初だとされているのが、国際連盟の樹立を提唱した1913年のウッドロウ・ウィルソン大統領の就任式でした。


ニューヨークから歩いてワシントンまで来た5000人の女性たちは、いまだに実現しない参政権を求めて行進を行いました。このために、ユニオン駅にはウィルソン新大統領を迎える人が誰もいなかったということです。


この7年後に女性の参政権を含めた改正案が批准されます。



男女平等憲法修正案(ERA)

1970年代から1980年代にかけて起こったウーマンズ・マーチは男女平等憲法修正案を支持する目的で行われました。


男女の差別を禁止する憲法修正27条案は1972年に議会で承認されていたものの、成立に必要な38州に達しない状態が続いていました。


この修正案成立を目指し、女性団体がワシントンで10万人の賛同者を集めて行進しました。しかし、期限である1982年6月までに批准したのは35州でERAは廃案となります。




銃規制

2000年の母の日にワシントンに集まった人の数は100万人になりました。これはドナ・D・トーマスさんが中心となって立ち上げた集会で、その年の初めに起きた銃乱射事件で子供を含む犠牲者がでた事件を受けてのことでした。


銃規制を訴えるこの集会には、時のクリントン大統領のファーストレディとしてヒラリー・クリントン氏も出席しています。




女性の権利

2003年にブッシュ大統領が署名した、「部分出産中絶禁止法」などに対して女性の権利を主張して抗議したものでした。


50万人の参加者たちは「私たちの体のことは私たちで決める」「その法案を私の体に関わらせないで」などのサインボードを掲げ、ピンクや黄色、紫のTシャツを着て行進をしました。











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参考

http://www.jiji.com/jc/article?k=2017012200014&g=int
http://time.com/4642440/madonna-womens-march/
https://www.theguardian.com/us-news/2017/jan/21/protests-around-world-show-solidarity-with-womens-march-on-washington
http://www.sahistory.org.za/topic/1956-womens-march-pretoria-9-august
http://www.latimes.com/nation/la-na-pol-womens-march-live-a-brief-history-of-women-s-1484965922-htmlstory.html

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