ムヒカ元大統領とはどんな人物か?本やスピーチの紹介も

ホセ・ムヒカ ウルグアイ前大統領 世界一貧しい
picture by Agência Brasil

2016年には来日したムヒカ氏とはどんな人物なのか、その政策は?



日本でも大きな話題となった絵本『世界でいちばん貧しい大統領のスピーチ』のホセ・ムヒカ元大統領が2016年4月に初来日しました。




ラテンアメリカの左派大統領の代表的人物だったムヒカ氏はどのような人物だったのでしょうか。その人物像に迫ります。





2010年に第40代ウルグアイ大統領に就任したムヒカさんは昨年の3月に退任しています。国民から「エル・ペペ」の愛称で親しまれ、その退任には惜別のために多くの人が集まりました。





2012年のリオ会議でのスピーチで一躍世界的に有名な指導者の1人となったムヒカ氏は、日本でも著作が翻訳されていて、退任後に出版元である汐文社の招聘に応じて各地で講演を行いました。









2012年のリオ会議でのスピーチ


国民から熱烈な支持があったムヒカ前大統領ですが、世界的に名前が知られるようになったのは2012年にリオで開かれた「国連持続可能な開発会議」でのスピーチでした。絵本ながら16万部を売り上げている『世界でいちばん貧しい大統領のスピーチ』はこのスピーチを中心に描かれています。



先進国に比べれば小国にすぎないウルグアイの大統領のスピーチ。ほとんど注目する人がいなかった中、経済を中心に回る世界の政治に対して、小国ならではの立場からその拡大志向に疑問を投げかけるムヒカ大統領の言葉が世界中の人の心を打ちました。


弱者の立場から社会を見つめる真摯な姿勢が話題になり、その場にはほとんど人が去ってしまっていたのに、そのときのスピーチの動画は様々な国の人によって再生されることになります。





これがその時の実際の映像に英語のスクリプトをつけたものになります。日本語訳はHana.biというサイトで紹介しています。その時点ではほとんどニュースにならなかったのが、このサイトをきっかけに日本でも広く知られるようになります。



リオ会議でもっとも衝撃的なスピーチ:ムヒカ大統領のスピーチ (日本語版)Hana.bi | Japan+You

貧困家庭にそだつ


現在80歳のホセ・ムヒカさんはウルグアイの貧しい家庭に生まれました。第二次大戦直前に生まれたわけですが、ウルグアイは外国の資本に頼るひどく不安定な経済状況の中にあり、家畜の世話をしたり花を売ったりして生計を立てていました。


大戦後にウルグアイは食糧輸出が波に乗り、外貨準備も過去最高に達しますが、1950年代に入り政局が混迷を極め、次第に国の経済も傾いていきます。1960年代になるとインフレ率は50%以上の状態が続きます。


ゲリラ組織ツパマロスへの参加



その時代のウルグアイの政情は内戦のまっただなか。ムヒカさんも「ツパマロス」というゲリラ組織に入りゲリラ活動を行います。ツパマロスは1962年に社会党から離脱したラウル・センディックというチェ・ゲバラの思想を受け継いだ人物が指導する組織でした。20代になっていたムヒカさんがそうした社会主義の革命に同調してゲリラ活動を行うようになるわけですが、拡大する消費社会への厳しいまなざしはここではぐくまれたのかもしれません。



その後のゲリラ活動で治安組織への襲撃や誘拐などを行う中で6発の銃弾を受けたことがあり、4度逮捕され、そのうち2回脱獄しています。しかし、1973年、ちょうどこの年からウルグアイは軍事独裁政権が始まったのですが、このときの逮捕でムヒカさんは軍事政権が終わるまで13年間ほど収監されることになります。



世界でもっとも貧しい大統領に


その後、1995年に下院議員に当選し、2005年に農牧水産省に就任、そして2009年に大統領選に勝利し、2010年からその職に就いたのでした。


大統領についたムヒカさんは月額25万ウルグアイペソ(約115万円)の9割近くを慈善事業に寄付し、清貧の生活をしながら職務を行いました。




「お金をたくさん持っている人は、政治の世界から追放されるべきだ」



スペイン語のCNNの記事の中で、彼はインタビューにそう答えています。


大統領公邸にも住まずに首都モンテビデオの小さな農場で暮らしていたのですが、花の世話や野良仕事など自分が熱意を注ぎたい時間が奪われてしまうから物質主義な生活を拒んでいるんだとか。


ヒッチハイクをしていた人がなかなか車がつかまらず、途方に暮れていたところ、車を止めて乗せてくれたのがホセ・ムヒカだったという話や、資金援助の目的で愛車のホルクス・ワーゲンのビートル(約32万円。唯一の資産)を100万ドルで購入したいとアラブのある族長が申し出たときは友人からの贈り物だからという理由で断ったという情報もあります。




また、世界で初めて大麻を合法化したのもムヒカ大統領でした。これは大麻の販売を政府が管理することにより安価で大麻を提供し、大麻市場を崩すことが目的としています。2013年に議会の上下院で法案が通過。



法案には販売に際しての条件を3つ課しています。


  1. 1人当たり年間で最大480g相当の販売をする
  2. 組織としては99本の大麻草の栽培が許可される
  3. 販売は薬局で行う




そして2017年7月から販売が実施されることになり、まずは16ヵ所の薬局でスタートします。



法案通過から3年半近くかかったのは、ムヒカ氏が大統領から退いて後任の大統領になったタバレ・バスケス氏が麻薬組織からの圧力や攻撃が強まるのではないかと懸念し、積極的に政策を進めなかったことが1つと、薬局側も大麻の販売がイメージダウンにつながるという不安があったためでした。



価格は1gあたり1.30ドルで、5gか10gの販売になります。購入資格は18歳以上で週に10g、月に40gまでと定めています。







アルジャジーラのインタビューに応えるムヒカ氏





☆ムヒカ氏関連書籍☆


世界でいちばん貧しい大統領のスピーチ


ホセ・ムヒカ 日本人に伝えたい本当のメッセージ (朝日新書)


世界でもっとも貧しい大統領 ホセ・ムヒカの言葉


悪役 世界でいちばん貧しい大統領の本音




参照
https://hbol.jp/136407







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