南スーダンの内戦が始まった原因とは?

南スーダン 国旗 地図



陸上自衛隊の「駆付け警護」でニュースにも流れてきた南スーダンとはどんな国なのか





2016年11月15日に日本の安倍内閣は安全保障関連法にもとづき、南スーダンの平和維持活動(PKO)に派遣する陸上自衛隊に対して「駆付け警護」の任務を付与することを閣議決定しました。離れた場所にいる国連やNGO団体、他国の兵士が襲われたときに救援に向かう任務で、これとともに「野営地の防護」も任務に付与されています。












12月23日には国連安全保障理事会において南スーダンへの武器禁輸や内戦当事者の資産凍結などの内容を盛り込んだ制裁決議案が採決されたものの、日本や中国、ロシアを含める8ヵ国が棄権したため廃案となりました。


南スーダンの情勢は各国によって見方が分かれていることを示したニュースでしたが、この国は一体どんな国で、どうしてPKOが必要な状況にあるのでしょうか。






南スーダン共和国




首都:ジュバ

人口:1173万人

国土面積:619,745平方キロメートル

言語:英語とアラビア語の両方が公用語。その他、ジュバ・アラビア語やディンカ語

宗教:伝統宗教、キリスト教

通貨:南スーダン・ポンド



南スーダン独立の概要



南スーダンの独立は2011年7月9日です。ごく最近になって誕生した国ですが、スーダンからの独立を求める運動は1955年から1972年の第一次スーダン内戦、1983年から2005年の第二次スーダン内戦と、長きにわたって戦い続けてきた末の独立でした。


2005年にスーダンからの南部独立運動の終決を迎える南北包括和平合意(CPA)が締結され、その5年後に総選挙が実施されます。


スーダン共和国の第一副大統領と南部スーダン大統領を務めたサルバ・キール・マヤルディ氏が選挙で勝利し、大統領に就任。6年間のCPA期間を経て南部10州が独立しました。


サルバ・キール・マヤルディ大統領



アフリカの中でも多様な人々が暮らしている国で、60以上の民族で構成されています。イギリスとエジプトによる共同統治を受けていた時代があったため、英語とアラビア語が公用語となっています。


宗教もキリスト教を信仰している人がいますが、多くの人がそれぞれの民族のそれぞれの伝統的な宗教を信じています。



また、アフリカ有数の産油国で、独立に当たっては北部スーダンと南部スーダンにまたがる油田の権益がからみ、2012年にはスーダンと南スーダンの間で交渉が停滞し、一時原油の輸出を停止する事態となりました。



独立直後も各部族間の衝突やスーダンからの介入があり、不安定な状態が続きました。現在も報道の自由はあまり認められてなく、政府や軍による圧力、報道陣の拘束なども起きています。




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南スーダン内戦の始まり


独立からわずか2年後に始まる南スーダンの内戦の原因は主に政権内の民族対立でした。キール大統領と副大統領のリエック・マシャール・テニィ氏が所属するスーダン人民解放運動(SPLM)はその名が示す通りスーダンからの独立を目指して活動するキリスト教系のゲリラ組織でした。




独立を果たし、2人は大統領と副大統領という地位に就いたのですが、キール大統領は南スーダンでもっとも大きな民族であるディンカ族出身で、一方のマシャール副大統領はその次に大きな民族であるヌエル族の出です。


SPLM内でもそれぞれが自らの民族で形成するグループによって派閥が形成されていて、独立前の2007年には統一政府からマシャール氏らのヌエル族が一斉にSPLMから分離するという出来事が起きています。


独立時にマシャール氏を副大統領に据えるということでSPLM内での紛争がいったんは落ち着きます。しかし、ディンカ族とヌエル族間の対立が収まることはなく、2013年7月にキール大統領はマシャール副大統領を罷免します。


12月15日にマシャール派の軍が反乱を起こし、これを鎮圧に向かった部隊との間で戦闘が始まります。これが現在にいたる南スーダン内戦のきっかけとなり、全土に紛争が広まったのでした。2013年だけで数千人が死亡し、およそ20万人が戦禍を逃れて国外へと避難しました。



ジュバで食糧の配給を待つ女性たちの列(2014/2/24)





和平交渉と国民統一暫定政府の設立




2014年に入り、政府と反乱軍はエチオピアの首都アディスアベバで和平交渉を開始します。仲介役として東アフリカの地域経済共同体、政府間開発機構(IGAD)が間に入っての話し合いでした。




IGADの調停や国連の制裁決議による圧力を受けて、2015年に「南スーダンにおける衝突の解決に関する合意文書」にキール大統領とマシャール副大統領たちが署名します。これによって無期限衝突停止宣言や国民統一暫定政府の設立が定められます。



2016年4月、マシャール氏は再び第一副大統領として南スーダン政府に復帰し、国民統一暫定政府が樹立しました。




再度の衝突。マシャール第一副大統領の解任





しかし、それからわずか3ヶ月後の7月7日にふたたび両者が非難しあい、お互いのグループの間で武力衝突が勃発したのでした。独立記念日である7月9日にキール大統領とマシャール副大統領が停戦を呼びかけるも鎮静には向かいませんでした。




Click! 南スーダン、独立記念日前後も戦闘激化。両派指導者の停戦呼びかけもむなしく




7月25日にはキール大統領はマシャール第一副大統領を解任し、マシャール派であるタバン・デン・ガイ前鉱物相を後任に任命しました。もちろんマシャール氏はこれを認めず抗議していますが、マシャール派の中でも分裂が起きていることを表しています。



12月19日のAFP通信のニュースによると、兵士による市民の虐殺が起きていて、軍内部でも民族間の対立が発生しているとのこと。ディンカ族とヌエル族の間にとどまらず、その他の民族にも争いが飛び火し始めているようです。





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参照

http://www.jiji.com/jc/article?k=2016122400004&g=pol
http://www.aljazeera.com/indepth/features/2016/12/wau-displaced-death-horrifying-escapes-161220103833871.html
http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/s_sudan/data.html
https://thepage.jp/detail/20140114-00000001-wordleaf
http://www.bbc.com/news/world-africa-14069082
http://www.afpbb.com/articles/-/3111473



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