中東地域での独立問題というとイスラエルのパレスチナ自治区がまず頭に浮かびますが、近年ISとの戦闘で注目されるようになってきたのがクルド人です。
かつてのユダヤ人のようにクルド人は「祖国を持たない民族」。実は日本にも約2000人が暮らしているクルド人にクローズアップします。
クルド人とは?
ニュースや新聞などでクルド人という名前を目にすることがあるかと思いますが、登場する国がいくつもにわたっていることに気づきます。クルド人が住んでいる地域はクルディスタンと呼ばれることがありますが、クルディスタンは5つの国にまたがっています。
- トルコ南西部
- シリア北東部
- イラン北西部
- イラク北部
- アルメニア南西部
- アゼルバイジャン南部
世界四大文明のチグリス・ユーフラテス文明が栄えた地域の1つで、クルド人もその時代からこの地に暮らす歴史の古い民族とされています。
クルディスタンは日本の面積とほとんど同じくらいで、そこに住むクルド人の人口は2500万~3000万人とされていますが、実際にはもっと多い可能性もあります。
クルド人の人口は国を持たない民族としては世界でもっとも多く、シリアの人口1800万人をしのぐ数となっています。
言語はインド・ヨーロッパ語系のクルド語ですが、それぞれの地域や部族ごとのつながりが強いためかなり方言の差が大きく、唯一文語を持つ北部のクルマンジーと南部のソラーニーでさえ別々の文字を使用しています。
宗教は7~8割がイスラム教のスンニ派が占めますが、シーア派、アレヴィ派も一定数いるほか、キリスト教やヤズディ教を信仰する人もいます。
クルド人の歴史
チグリス・ユーフラテス文明にまでさかのぼる歴史を持っているクルド人。現在のように民族が分断され祖国を失ってしまったのは近代に入ってからになります。クルディスタンの地域は古代からペルシャやアラブ、トルコなどの国々が覇権を争いさまざまな国家が現れては消えていき、また新たな国が登場しました。
しかし、クルド人はそんな渦中にあってもそれぞれの国から一定の自治を認められていて、主権を侵されることなく生活をしていました。
そんな状況が一変したのが1639年のことでした。オスマン・トルコ帝国とペルシャのサファヴィー朝の間で続いていた戦争後に結ばれた和平協定によってクルドの首長たちはいずれかの勢力に属することを求められ、分断されます。
ただ、クルド人問題が決定的になったのは第一次世界大戦後のヨーロッパ列強による分割統治でした。
戦後、オスマン・トルコが解体する状況となったため、イギリスを中心とした列強国はクルド人の国家樹立をセーブル条約に盛り込みますが、トルコ建国の父とケマル・アタチュルクがその案を拒絶し、1923年のローザンヌ条約では削除されてしまいます。
結局クルディスタンは新しく樹立したトルコ共和国と現在のイラン、イラクにあたる英仏委任統治領に組み込まれることになり、民族の分断が確定したものとなったのでした。
そんなクルド人に好機が訪れたのは第二次世界大戦後のことでした。中央アジアから中東にかけて影響力を伸ばそうとしていたソビエト連邦がクルド人を支援し、前年の1945年に創設されたイラン・クルド民主党(IKDP)が中心となってイラン北西部のマハーバードでクルディスタン人民共和国が誕生します。
ところがソ連はおよそ1年で軍を撤退。直後にイラン軍が侵攻してクルディスタン人民共和国はわずかな期間で姿を消したのでした。
クルドの独立
クルディスタン共和国はあっという間に瓦解してしまいますが、IKDPの活動は続き1979年のイラン革命の際には革命の成功に寄与しています。その後、自治の要求を拒絶され武力制圧されます。IKDPはイラン国内でテロ活動を行うようになり、現在も国際的テロ組織に指定されています。
自治や国家樹立を求めて活動している組織としては次の3つが有名です。
- クルド民主党(KDP。1946年8月16日設立。イラク北部の政党でIKDPの軍事的リーダーだったムスタファ・バルザーニが初代党首)
- クルど愛国同盟(PUK。イラク北部の政党。1975年6月1日にジャラール・タラバーニーがKDPより分離して創設)
- クルド労働党(PKK。1978年設立。人口の2割をクルド人が占めるトルコの政党。84年から武装闘争を政府と続ける。IS誕生前はトルコのテロ事件の多くがPKKによるものだった。2016年に起きたトルコのクーデター未遂事件はギュレン師が首謀者となってPKKを支援して扇動したと政府は主張しています)
その他、近年ではPKKから分離したトルコの「クルド解放のタカ(TAK)」、イラクのイスラム系組織のクルド・イスラム運動(IMK)、クルド・イスラム連盟(ILK)などが勢力を伸ばしています。
しかし、組織の分裂や誕生を繰り返している状況が示しているように、地域や部族、宗教などの独立性が強いクルド人は文化や言語をあまり共有していないため、統一した独立運動に発展しないという弱点があります。
仮に国家が樹立できたとしても、同じ民族でありながら価値観がバラバラであるため、激しい内部抗争が起こる可能性があるかもしれません。
イラクのクルド人自治区は2017年6月7日に独立を問う住民投票の実施を発表(Newsweek)。同国を始めトルコやシリアなどから反発を受けています。
9月25日に住民投票が実施され9割以上の圧倒的多数により、独立の賛成が可決されました。しかし、イラクのアバディ首相は投票そのものが違憲であるとし、交渉を拒絶。また近隣国のトルコやイラクも軍事演習を行いクルディスタンへの圧力を強めています。
10月15日にイラク政府は北部キルクーク県のクルド人支配地域に軍を派遣し、翌日には油田、発電所、基地など主要施設を次々に制圧。
自治政府の治安部隊ペシュメルガはキルクークから撤退しました。資金源となる油田を抑えられたことでクルド自治政府は苦境に立たされ、24日には独立への動きを凍結し、イラク政府との対話を始める方針を打ち出しました。
Monday 16 October, 2017 Update: Iraqi Forces Retake Control of Kirkuk https://t.co/571gArE70n pic.twitter.com/wLgf65BFTr— Today's DIRT (@Todays_DIRT) 2017年10月17日
キルクークを制圧するイラク軍
クルド人部隊のISとの戦闘
自らの国家を持たないクルド人が、なぜISと戦わなければいけなくなったのでしょうか。2013年、当時勢力を広げていたISがさらなる拡大を狙って目をつけたのがシリア北部にあるクルディスタンの飛び地でした。これがクルド人とISの戦いの始まりです。
翌2014年クルド民主統一党(PYD)の軍事部門であるクルド人民防衛隊(YPG)が撃退するまでISの攻撃は続きました。
しかし、イラクの軍事拠点モスルを陥落させたISはイラク国内のクルディスタンへも侵攻。同国のクルド人民兵組織「ペシュメルガ」との間に戦闘が起こります。
ISに数か所の町を奪われ劣勢に立たされたペシュメルガはアメリカ主導の多国籍軍による空爆や、YPG、PKKなどといったイラク国外のクルド人組織に救援を求め対抗しました。
これによりいったんイラクへのISによる攻撃は中断されますが、2014年9月にアイン・アル=アラブ(コバネ)を中心としたシリアの飛び地が目標となりISの支配下となったのでした。
アイン・アル=アラブは2015年1月に1600人以上の死者を出して奪還。現在はトルコ国境付近400kmの範囲を支配下においています。
参照
http://www.bbc.com/news/world-middle-east-29702440
http://www.jiia.or.jp/report/keyword/key_0303_matsumoto.html
http://www.moj.go.jp/psia/ITH/organizations/ME_N-africa/IKDP.html