パパ・ウェンバ https://www.flickr.com/photos/134234263@N08 |
コートジボワールのコンサート中に倒れ、診療所に
「コンゴルンバの王」と呼ばれたミュージシャン、パパ・ウェンバ氏が24日にコートジボワールのアビジャンでコンサートの最中に倒れ、日付が変わった25日に亡くなりました。66歳でした。
数千人の観客を前にパフォーマンスをしていたパパ・ウェンバ氏が倒れると、仲間の演奏家たちが駆け寄り、すぐに近くの診療所に運び込まれましたが、息を吹き返すことはありませんでした。死因はまだ判明せず、朝に彼と会った記者はその日も元気な様子だったと言っています。
コンゴ民主共和国のボードウィン・ボンザ・ムカレイ文化相は「コンゴ民主共和国にとって、そしてアフリカ全体にとって大きな存在を失ってしまった」と哀悼の意を表し、「自分で道を切り開いた人物」「コンゴの若者にとって見本になっていた」と称えました。
スークースの創始者
パパ・ウェンバ氏の本名はシュング・ウェンバディオ・ペネ・キクンバ。現在のコンゴ民主共和国(ザイール、そしてベルギー領コンゴからコンゴ民主共和国)に生まれました。
1969年から1970年代に首都のキンサシャで"Zaiko Langa Langa"のメンバーとして活躍し、その名が知られるようになります。ギターベースのバンドで、ラテンミュージックとアフリカンミュージックを融合したスタイルで人気を博し、アフリカの音楽界に多大な影響を与え、スティービー・ワンダーやエリック・クラプトン、ピーター・ガブリエルなど一緒に活動もしています。
1980年代にウェンバ氏は新しく立ち上げたバンド"Viva La Musica"とともにパリへ移住し、ヨーロッパにコンゴミュージックを広めたのでした。コンゴの伝統的音楽にヨーロッパの音楽を取り入れたダンス音楽スークースを作り上げ、1996年にKORA、オールアフリカミュージックアワードで最優秀アフリカンアーティストに選ばれています。
2003年にコンゴ人を自分たちの演奏グループの一員として違法にビザを取得し、ヨーロッパに連れてきたとしてフランスとベルギー当局から訴追され、4ヵ月の間拘留され、保釈金を払い執行猶予がついて釈放されています。
2008年にはロンドンで開かれた南アフリカ共和国のネルソン・マンデラ元大統領の90歳の誕生日を祝うコンサートにも参加しています。
コンゴのサプールを守ったパパ・ウェンバ
また、昨年日本でも話題になった「サプール」を広めた人物としても有名です。
1965年に独裁政権を敷いたモブツ・セセ・セコ氏がヨーロッパ文化の排除を目指して国民服の着用を義務付けますが、ウェンバ氏はこれに反抗してサプールの服装を続けます。コンゴの紛争が終わり、サプールはウェンバ氏が守り続けたこともあって復活し、今にいたるのでした。
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