エルサレム:観光に行くなら知っておきたい3宗教の聖地の複雑な歴史と今

観光地としても有名なエルサレムの3つの聖地

中東の国イスラエル一般的にユダヤ教のイメージが強い国ですが、国民が信仰している宗教の割合は75.1%がユダヤ教です。圧倒的にユダヤ教が多いものの17.4%がイスラム教、2%がキリスト教と他の宗教を信じている人も決して少ない数ではありません。その大きな理由の1つがエルサレムという都市にあります。




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エルサレムをイスラエルは首都としていますが、国際連語や世界各国はそれを認めず同国第2の都市テルアビブに大使館を置いています




イスラム教とキリスト教にとってもイスラエルが重要な聖地であるエルサレムを首都としては認められないというのが国際社会の意見で、現在も特にユダヤ人とアラビア人の間ではこの聖地を巡って衝突が起きています。




その歴史の始まりは紀元前1000年にまでさかのぼるエルサレムにクローズアップします。





エルサレムとは


エルサレム(英語名:Jerusalem)はイスラエルとパレスチナ(ヨルダン川西岸地区)にあり、人口はイスラエル国民の10%近くにあたる約86万人です。標高800mのユダ山という山の上にあり、ユダヤ教、イスラム教、そしてキリスト教にとっての聖地とされています。



エルサレムは西エルサレム(新市街)東エルサレム(旧市街)に分かれて、第二次世界大戦後に国連が取り決めたパレスチナ分割案では西エルサレムがユダヤ人居住区、そして東エルサレムをパレスチナ人居住区としていました。



しかし、1967年の第3次中東戦争の際にイスラエル東側のエルサレムを占領し、以後自国の領土としています。



新市街である西エルサレムには公官庁や国会議事堂などの政治の中枢機関があり、またイスラエル博物館やヘブライ大学など文化施設も集まっています。




一方の東エルサレムに、ユダヤ教の嘆きの壁、イスラム教の岩のドーム、キリスト教のゴルゴダの丘(聖墳墓教会)があり、1981年に「エルサレムの旧市街とその城壁群」として世界遺産に登録されています。












エルサレムの場所





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地中海の東側に位置するイスラエルは北から時計回りにレバノン、シリア、ヨルダン、エジプトと国境を接しています。



そしてエルサレムはパレスチナ自治区のヨルダン川西岸地区に食い込む形の場所に位置しています。



このあたり一帯は地中海とヨルダン地溝帯(断層によってできた峡谷)のあいだを南北に走る山地の上にあり、ユダ山もその1つです。




地図をクローズアップしていただくとわかりますが、嘆きの壁、岩のドーム(オマール・モスク)、聖墳墓教会が徒歩で数分の所にあります。




嘆きの壁や岩のドームがある場所を神殿の丘といいます。



3宗教にとっての聖地エルサレムの歴史と現在

ヘブライ語で「ハルハバイト」、アラビア語で「ハラム・シャリーフ」と呼ばれる神殿の丘はユダヤ教、イスラム教、キリスト教の聖地となっていて、エルサレムという都市が世界の中でも特別視されるのはこの地区があるためでもあります。




それぞれの宗教にとってエルサレムがどんな意味をもっているのか見て行きましょう。








ユダヤ教

現在ではエルサレムを含むこの地域のことをパレスチナと呼んでいますが、古代には「カナン」という地名でした。カナン人という民族が住んでいましたが、紀元前13世紀の終わりごろにイスラエル人が征服して定住しました。




旧約聖書でカナンは神から与えられた「約束の地」であるとして、アブラハム(現在のユダヤ人の祖先)はこの地に入ったとしています。



都市自体は紀元前4000年前からあったというエルサレムはイスラエル王国の時代にダビデ王が紀元前1000年ごろに聖なる都に定めました。そしてダビデの息子ソロモンはユダヤ教の唯一神であるヤハウェを礼拝するための神殿を創設。これがエルサレム神殿と呼ばれています。





神殿の丘がこのエルサレム神殿があった場所です。




あった場所、というのもエルサレム神殿は紀元前587年にバビロン軍によって破壊され、その後に再建。そして70年に今度はローマ軍によって破壊され、西側の擁壁を残すのみになってしまいました。



その西側の壁が、嘆きの壁です。




嘆きの壁
嘆きの壁



古代の神殿と国家が失われてしまったことを「嘆く」行為を4世紀ごろにローマ帝国から許された経緯からこの名前がついたとされます。




ユダヤ人は自分たちの国家を持たぬまま十数世紀が経ちますが、19世紀にパレスチナに国家樹立を目指す運動「シオニズム」が起こります。エルサレムの別名でもある「シオン」に戻ることを目的とした運動でした。




では、1948年になってイスラエルが建国され1967年には東エルサレムを併合したのだから、復興の悲願は果たされたように思われますが、歴史の流れの中で神殿の丘はイスラム教にとっての聖地にもなっていたのでした。






イスラム教

イスラム教にとってもエルサレムという都市は、預言者ムハンマドの生誕地メッカ、メッカから聖遷(ヒジュラ)によって定住したメディナに次ぐ第3の聖都です(メッカとメディナはサウジアラビアにある)。



コーランによると、メッカにいたムハンマドは天使ガブリエルの誘いで空を飛んで一夜のうちにエルサレム神殿(コーランではモスク)にやってきて、ある岩に足を置いて天馬に乗り、絶対神アッラーと面会したとされています。



その岩を守るために木造の建物が作られ、さらに691年にそれを覆うようにオマール・モスクこと岩のドームが建設されました。



岩のドーム オマール・モスク
岩のドーム(オマール・モスク)


オマール・モスクは世界中で現存するモスクとしては最古のもので、金色に輝くドームはひと際目を引きます。



もともとエルサレム神殿があったこの丘には、今もこの岩のドームとアル=アクサー・モスクがあり、神殿の丘のは嘆きの壁を除く区画はすべてイスラム教の管理下にあります。



神殿の丘は、イスラエルとアラブ諸国、ユダヤ教とイスラム教という国家の歴史と宗教という問題が複雑に絡み合った聖地であり、対立が表面化することもあります。




2017年7月21日に、1週間前に警備のイスラエル兵士が襲撃される事件を受けて、イスラエル政府はこの日の岩のドームとアル=アクサー・モスクを含む神殿の丘への立ち入りを禁止し、入口の数か所に金属探知機を設置しました。



エルサレムの各地で聖地への規制に強い怒りを覚えたイスラム教徒のパレスチナ人とイスラエル兵士のあいだで衝突が起こり、パレスチナ人は390人以上が負傷し3人が死亡しました。












24日に金属探知機は撤去されましたが、その後も両者の衝突は続いています。









キリスト教

ムハンマドがガブリエルに先導されてやってきたとき、エルサレムはローマ帝国から分裂した東ローマ帝国(ビザンツ帝国)の支配下にあり、カトリックに対抗して成立した東方正教会という宗派のキリスト教を国教としていました。




まだローマが共和政から帝国になったばかりのころ、その属州になっていたユダヤ地域には総督が派遣されて統治を行っていました。




その5代目の総督ピラト(ピラトゥス)は当時ユダヤ教を非難し信仰を集めるようになっていたイエス・キリストがユダヤ人から訴えられた裁判に際し、罪がなかったのにもかかわらず死刑の判決を下します。



紀元30年、十字架を背負ったイエスはヴィアドロローサ(苦しみの道)を歩き、ゴルゴダの丘で磔刑に処されたのでした。




326年にエルサレムを訪れたコンスタンティヌス帝の母であるヘレナは熱心なキリスト教の信仰者で、ビーナス神殿の中にキリストの墓、十字架などを発見しこの場所がゴルゴダの丘であることを確認したのでした。そして、教会を設立することを息子に勧め、335年に聖墳墓教会が完成します。





聖墳墓教会
聖墳墓教会



その後、聖墳墓教会はペルシャの攻撃にあって破壊され、さらに638年には6年前にムハンマドが死去していたイスラム勢力の聖戦(ジハード)によってエルサレムはその支配下となります。そして691年に岩のドームが建設されたのでした。




それから400年以上にわたってエルサレムはイスラム教の勢力圏にありましたが、1095年にローマ教皇ウルバヌス2世がこの聖地奪回を提唱し、翌年に十字軍が結成されます。1099年に十字軍はエルサレムを占拠し聖墳墓教会も再建されますが、サラディンによってイスラム側が奪還して後は13世紀末まで遠征は断続的に行われるものの、支配権が移動することはありませんでした。




カトリック教会や東方正教会やコプト教会が共同管理している現代では、教会内で2008年に東方正教会とアルメニア使徒教会のあいだで乱闘が起こる事件も起きています。



2016年10月に聖墳墓教会は200年ぶりの修復作業が行われ、このとき「キリストの墓」が数世紀ぶりに開かれました






トランプ大統領のエルサレム首都認定

2017年12月6日、アメリカのドナルド・トランプ大統領が発表した声明に世界中の人々が驚きました。それはエルサレムをイスラエルの首都として認定し、アメリカの大使館をテルアビブからエルサレムへ移転するという内容でした。


エルサレムはイスラエルとパレスチナの双方が首都として認定するよう国際社会に求めていましたが、国連加盟国のほとんどが国際管理下におくべきだという姿勢を示してきました。


トランプ大統領の決定にイスラエルは歓迎し同市に新しくできる駅の名前を「トランプ駅」にすると発表。


しかし、パレスチナはもちろん中東諸国は強く反発し、親米路線のスンニ派国サウジアラビア、エジプト、ヨルダンまでも批判の声明を出しています。



パレスチナ自治区ナーブルス


インド、ニューデリー


フランス、パリ


トルコ


インドネシア




国際社会もその多くがアメリカの決定に反対の立場を示しましたが、トランプ大統領は21日の国連特別総会でエルサレムの首都認定の撤回を求める決議に賛成をした国の支援を打ち切る可能性があると示唆。


その後、10ヵ国以上がエルサレムへの大使館移転を検討している状態になったとイスラエルのホトベリ外務副大臣は25日にメディアにコメントしています。

















☆観光関係リンク☆



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参照


http://www.zion-jpn.or.jp/israel_religious.html
http://diamond.jp/articles/-/79610?page=4
http://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2017/07/post-8036.php
http://www.catholickatase.com/sp/archives/project/%E8%81%96%E5%A2%B3%E5%A2%93%E6%95%99%E4%BC%9A%E3%80%80%EF%BC%88%E3%82%A4%E3%82%B9%E3%83%A9%E3%82%A8%E3%83%AB%E3%80%80%E3%82%A8%E3%83%AB%E3%82%B5%E3%83%AC%E3%83%A0%EF%BC%89

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