ザハ・ハディド氏は「アンビルトの女王」ではなく「曲線の女王」が海外の評価



建築家ザハ・ハディド氏(65)が心臓発作で死去




3月31日、イギリスの建築家ザハ・ハディド気管支炎の治療のためにアメリカのフロリダ州のマイアミにある病院で、心臓発作が原因で亡くなりました。65歳でした。海外の建築家でこれほど日本で名前が知られたのはやはり2020年の東京オリンピック・パラリンピックの会場となる新国立競技場の設計を当初任された人物だったことが大きいでしょう。







国際公募で採用されたハディド氏の設計は総工費が1300億円の予定だったものが2500億円にまで膨らみ、国民の間からも大きな反発を受けて2015年7月に安倍首相がこの計画をゼロの状態に戻し、再び公募を行ったのでした。最終的に建築家の隈研吾氏たちの案が採用され、現在はそのデザインに基づいて計画が進められています。



ハディド氏はデザインが採用されたときから、日本の建築家磯崎新氏がハディド案を批判し見直しを求め、それにハディド氏も「日本の建築家は外国人に設計して欲しくないだけ」と反論していました。隈研吾氏の案が決定した後にもハディド氏は自身のデザインに類似していると指摘し、隈氏がまた「まったくコンセプトが違う」と反論するなど、とかくこじれてしまった印象を残してしまいまいした。






今年の1月には著作権について法的措置も取る可能性までも示唆していました。大幅に予算をかけることになってしまった責任の一端があるとされ、そして日本の建築家と舌戦を繰り広げてしまったために日本でハディド氏はネガティブなイメージで報道される機会が多くなりました。






「アンビルトの女王」というレッテル





今回の訃報に際しても「(あの)新国立競技場の当初案をデザインした人物」という紹介がされました。



そして、生前から日本のネットなどでよく見かけた言葉が再び目に触れるようになりました。


それは

「アンビルト(実現しない建築)の女王」


巨大すぎる新国立競技場の設計に批判が集まり始めたころ、建築家ザハ・ハディドを評する言葉として使われるようになりました。





ロンドンの英国建築協会付属建築学校を出たハディド氏は1983年に香港の高級レジャークラブの建築コンペの「ザ・ピーク」で案が1位に選ばれたところからスポットライトを浴びることになります。ところがこのデザインを始めとして、建築事務所を設立してしばらくの間、幾何学的な曲線と直線を大胆に用いた斬新な設計案を現実に建てられない例がいくつもあったためにつけられた名前が「アンビルトの女王」だったのです。




「曲線の女王」として世界に名を遺したザハ・ハディド




しかし、アンビルトなものをいつまでも設計してばかりいて、世界的に著名な建築家にはなれないはずです。2004年には「建築のノーベル賞」とも呼ばれる「プリツカー賞」を受賞しています。1979年の創設以来初めて女性の受賞者になります。



ザハ・ハディド建築事務所のHPには手掛けてきた建築の数々の写真が載せられており、「アンビルトの女王」が過去の話であることがわかります。





Archive – Zaha Hadid Architects




いつしか彼女につけられた名前は



「曲線の女王」



に変わっていました。ロンドンオリンピックの水泳会場などもハディド氏の代表作と言えるでしょう。

また2016年の王立英国建築協会の「ロイヤルゴールドメダル」を受賞していました。これもやはり167年の歴史があるなかで女性初の受賞でした。



今回の訃報もイギリス国内はもちろんですが、世界各国にその作品を残しているザハ・ハディド氏の死を他の国々でも報じています。韓国などはソウルに14年にオープンした大型文化施設「東大門デザインプラザ(DDP)」の設計者として知られ、やはり物議を生んでいるだけに、また意見がさまざまあるようです。


それでも偉大な建築家がこの世を去ったという事実は、世界共通で持っているようです。


'Queen of the curve' Zaha Hadid dies aged 65 from heart attack(ガーディアン)

'Queen of the Curve' Starchitect Zaha Hadid Passes Away at 65(フォーブス)

Remembering 'Queen of curves' architect Zaha Hadid(CBC)


















もっと読む








こんな記事も読まれています

Social